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センシノコエ Pre.

ついったのワンライ企画に投稿したもの。

シチさんがキュウとおさまについて独白するお話。

10月に出す予定の本の、肩慣らし&頭の中の整理がてらに書いたもの。

お題は「飯前仕事」にございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放たれた刃の描く切っ先は、とてもうつくしかった。

力強く、それでいて正確に敵を屠る。

刃と金属が接する、高い音。たやすく分かたれていく敵の影。

幾度目かの音が響いた後、それらは轟音とともに大地に落ちた。

 

 

 

センシノコエ Pre.

 

 

 

 

 

紙っぺらのようだ、と、崩れ落ちて行く機械の侍を見て思ったものだ。

刀の腕だけを見ればこの内では右に出る者はいないだろう。なるほど確かにこの腕ならば主が欲するわけだ、と、納得をした事も覚えている。

生きてみたくなった、そういっていた赤い色の印象的な侍は今、行動を共にし、村での戦の準備に手を貸している。

無口なこの侍が、果たして村人に弓を教えることができるだろうかと多少の心配があったのだが、今のところ何の問題もなく、農民相手に淡々と弓の手ほどきをしているようだった。

 

弓を引き、構え、放つ。

 

単純に見えて難しい。構造を理解しているといっても、それを放つようには今までの生活を生きてきてはいない。ただそれでも、普段からの農作業で培われている筋力がある分まだ飲み込みは早いようだ。

別に彼らに精度を求めてはいない。彼らが弓を引き、野伏りに向かって放つという事実が大事なのだとシチロージは思う。そういう意味では、キュウゾウを農民の弓の指南に宛がった主の判断は間違いではなかったろう。現に農民も――個人の思惟差こそあれ――おおよその人間がキュウゾウから学ぼうと、必死に弓をつがっている。単純にキュウゾウの気魄に押されているだけなのかもしれないが、かえってそれがこの場所ではうまく働いている。

 

(なかなかどうして――。)

 

喰えないままでいるのは、大戦の頃のままと言うわけですか。

裏ですべてを考え、配し、動かすのは。

シチロージも色々な現場の調整役をしてはいるが、特に具体的にカンベエから「これこれをしろ」と指示をされたわけではない。それでも現場はうまく回っている。つまりは、そういうことなのだ。

 

(良いように使われているのはお互い様、という事でしょうかねぇ)

 

そして二人共に、その良いように使われている事は嫌じゃない、と来るものだからなおさらたちが悪いのだ。

意をくみ、それを逆手に取り、己の思う方向へ導く。

軍師たるカンベエにとってそれは幾度となく繰り返してきたことで、大戦が終わった今ですら朝飯前な事なのだろう。

 

――彼も、自分も。

 

大きな流れの前では無力だ、そう思う。目の前に人参をぶら下げられた馬のように必死になってその間の障害物を排すのだ。

己の主が主であるため、または、その主と刃を心置きなく交えんがため。

その目的の為ならば、いくらでも働いてやる。それこそ、こちらにとっては朝飯前だ。

 

うつくしい、そう思った太刀筋を思い出す。

主の刃と交わった時にどんな軌跡を描くのだろう、それを夢想して、血が沸き立つ。その舞台に立てるキュウゾウを羨ましいと思い、そこに立つのが自分ではないという事実に嫉妬すると同時に悲しみに似た感情をもつ。そして共に感じるのは、少しの安堵感。

己の“仕事”は理解している。だからこそその舞台はキュウゾウに譲るのだ。

ちら、と赤い侍に一瞥を投げる。気配に聡いキュウゾウのことだ、此方のことなどとうの昔に気づいているだろう。しかしキュウゾウは此方を向くことはない。ただ淡々と、農民相手に弓の稽古をつけている。

 

(私は私の、彼は彼の、それぞれの仕事をすると致しましょうか。)

 

主が望み、求めているもの。

意識の外で知覚することに慣れたその感覚に再び合い見える事を己の僥倖に。

シチロージは口を笑みの形に崩して、己の仕事場へと足を向けた。